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~ボクサー人生を絶たれたロッキーの新たなスタート~「ロッキー5 最後のドラマ」ネタバレレビュー

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作品概要

ボクシングを引退したロッキーが自らの意志を継ぐトミー・ガンのトレーナーとして新たな栄光を掴みながらも、離れてしまった息子との絆を取り戻すために奮闘していく姿を描くロッキーシリーズ第5作。出演はシルヴェスター・スタローン、タリア・シャイア、バート・ヤングトミー・モリソン、セイジ・スタローン、バージェス・メレディス、トニー・バートン、リチャード・ガントなど。監督は「ロッキー」のジョン・G・アヴィルドセン。

 

 

点数:3.0点(5.0点満点、0.5刻み)

※ネタバレを含みますので読まれる方はご注意ください

 

 

ボクサーとしての道を絶たれて全てを失ってしまったロッキーが弟子や息子との絆を通して新たな人生を見つける姿は原点回帰的でとても好感が持てるのだが、その描き方がご都合主義満載の勧善懲悪ドラマに落ち着いてしまっているのがなんとも惜しい。

 

今作でロッキーはボクシングはしない。何度も挫けそうになりながらもチャンピオンの座を守り続け、アポロとの2度に渡る決戦、闘争心むき出しのグラバーや圧倒的なパワーファイターのドラコとの死闘を経験したロッキーは脳に致命的なダメージを負い、引退を余儀なくされたためだ。しかも会計士がポーリーを騙して、ロッキー達の財産を全て盗み取ってしまったために破産してしまう。財産どころかボクサーとしての自分も失ってしまったロッキー達は太々しいプロモーターのデュークの現役復帰試合も断り、原点であるフィラデルフィアで新たな生活を始めることとなる。新たな生活になってもロッキーは息子の前では明るく振る舞い、ジョークを言って和ませる。だがかつての貧しい生活に家族を巻き込んでしまったことへの後悔やもう二度とボクシングはできないという事実にロッキーは打ちひしがれて暗い影を落とす。このフィラデルフィアの空気感や貧しい生活から漂う切なさとどうしようもなさは第1作目のロッキー達を連想させる…まさに原点回帰だ。

 

そしてロッキーは自分のボクサーとしてのスピリットを受け継ぐ弟子と愛しの息子との2つの絆の間で揺れ動くこととなる。ある時ロッキーにあこがれ続けているトミー・ガンという若者からトレーナーになってほしいと頼まれる。最初は断るロッキーだったが自分の師であるミッキーの面影を思い出し、トミーの熱意もあってトレーナーとして新たな人生を歩むことを決意する。そうして二人で一緒に過酷なトレーニングをしていく内にトミーはどんどんチャンピオンの道を歩み、人々からも人気のボクサーとして名前が広く知れ渡るようになる。ボクサーとしての道を絶たれたロッキーはミッキーと同じようにトレーナーとしてボクシングに関わっていくことに充実感を覚えるのだった。だが一方でトミーを気に掛けるあまり、息子との距離が離れていく。息子が自分の力でいじめっ子を倒しても、父を理解しようと始めたボクシングが上達してもロッキーはトミーのことばかり…いつしか自分は愛されていないのではないかという違和感を抱き、ロッキーに対して反抗的な行動をとるようになる。はたしてロッキーは弟子との関係、息子との関係にどう折り合いと付けていくのか?少々強引な設定な人間ドラマだがまだここまではそこそこ面白い。

 

だがこの人間ドラマの決着のつけ方がどうにも納得できない。結局この問題はどう解決していくのかと言うと、デュークによる金や女を使った甘い誘惑に惑わされたトミーがロッキーを裏切りデュークの元に引き抜かれてしまい、弟子を失った喪失感から本当に大事なもの=息子との絆に気付いて関係修復を図る…要は弟子を悪者にして息子との絆の大切さを浮き彫りにしているわけだがどうもこの描き方には疑問が残る。ボクサーでなくなったロッキーにとってトレーナーとしての道は生き甲斐ではなかったか?息子との絆も大切だが、弟子との絆も大事ではないのか?普通にロッキーがどちらの絆も大切だということに気付いて息子との時間も大切にし、デュークの妨害もありつつ最終的にトミーをチャンピオンまで導いていくという風に描けばよいのではないだろうか?どう考えても一方的に弟子のトミーを悪者にして解決する話ではないし、ロッキー自身がボクシングと関わってきた人生を否定しているようにまで思えてしまう。

 

また弟子を安易な悪者にしてしまうというやり方が安直を通り越してもはや不愉快な領域だと思う。これまでにアポロやグラバー、ドラコなどロッキーにとっての敵は何度も登場したわけだが、どのキャラクターもあくまでスポーツマンシップにのっとった敵であって悪者ではなかったはずだ。だがトミーという男は息子と絆という美名のもとに悪者にされてしまう…ロッキーに勧善懲悪的な展開は合わない。むしろ敵はロッキーを破産させた会計士だろう。そしてトミーはどんどん金と名誉にこだわり続けるあまりにロッキーの元でトレーニングしていた頃の誠実さを失ってしまい、ロッキーを裏切ったという事実から人々から嫌われるようになってしまう。人気を取り戻すためにデュークによってロッキーとの師弟対決を企画されるも、ロッキーは頑なに企画に乗らない。そんなロッキーに苛立ったトミーは酒場でロッキーに直接喧嘩を売ってポーリーを殴り飛ばしてしまい、ロッキーとストリートファイトに発展してデューク共々ノックアウトされるという開いた口がふさがらない決着を迎える。まず仮にもボクサーという職業の人がストリートファイトで決着をつけるなんて言語道断だし、ポーリーやデュークなどボクサーでない一般人に向けてパンチを喰らわせるなんてボクサーとしての矜持がぶち壊しだ。せめてジムのリングで非公式で決着をつけるとかにしたらまだ納得できたかもしれないが…。ただラスト息子と共にロッキーステップを駆けあがるロッキーのシーンはロッキーの人生に思いを馳せたくなるいいシーンだった。内容がよければもっとグッとくる場面だっただろう。

 

原点回帰的なのはストーリーだけではない。第1作目の監督であるジョン・G・アヴィルドセンによる地味だけど的確な演出はかつてのようなキレは感じないものの第1作目のときの画作りが復活しているし、1作目を連想させるジョークを言って和ませながら寒空の下を途方もなく歩くゴロツキなロッキーの姿、シリーズお馴染みの独特なオープニングクレジットの復活、ビル・コンティによるロッキーのテーマや切なさや哀愁漂うスコアの復活、回想という形でかつての師であるミッキーの登場など迷走していた前作からきちんとロッキーシリーズの映画として軌道修正させている。きちんとシリーズらしさとは何かを考えた結果なのだろう。

 

最後に役者陣だが、個人的に一番輝いていたと感じたのはロッキーの息子役であるセイジ・スタローンだ。スタローンという名前の通りシルヴェスター・スタローン実の息子である。映画初出演とは思えない堂々とした演技もはもちろん素晴らしいのだが、第1作目の存在がスタローン自身のシンデレラストーリーと重なるように、今作の存在とスタローンの実人生がまたシンクロしているかのように感じられるキャスティングだと言えるだろう。シルヴェスター・スタローンもかつてのゴロツキスタイルから切なさを滲ませるし、タリア・シャイアの健気さも前作より意義のあるものになっている。トミー・ガン役のトミー・モリソンも最後の展開で割に合わないことになってしまったが、たくましくて若々しい体形は素晴らしいと思ったし、デューク役のリチャード・ガントの太々しさも面白かった。

 

勧善懲悪的な人間ドラマで済ませてしまうなど最終作として作られた作品にしてはグズグズな出来栄えではあるが、かつてのシリーズらしさの復活は素直に嬉しかったし、ロッキーの人生がどうなっていくのかという答えを一応見せてくれたことはよかったと思う。きっと今作で本当に描きたかったロッキーの人生や道筋は「ロッキー・ザ・ファイナル」と「クリード チャンプを継ぐ男」に繋がっているのだろう。