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~老いたロッキーが魅せる原点回帰的な生き様に震える~「ロッキー・ザ・ファイナル」ネタバレレビュー

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作品概要

引退して長い年月が経ち、地元でレストランを開業して自分の過去の栄光を語っていたロッキーが、胸に眠っていた闘志を呼び覚まして再びプロボクサーとして現役のヘビー級チャンピオンとのエキシビジョンマッチに挑む姿を描くロッキーシリーズ第6作。出演はシルヴェスター・スタローン、マイロ・ヴィンティミリア、バート・ヤング、トニー・バートン、アントニオ・ターバー、ジェラルディン・ヒューズ、ペドロ・ラヴェルなど。監督は「ロッキー4」ぶりにシリーズへの監督に復帰したシルヴェスター・スタローン

 

 

点数:5.0点(5.0点満点、0.5刻み)

※ネタバレを含みますので読まれる方はご注意ください

 

 

過去と孤独に囚われてしまったロッキーが再びボクシングに人生を捧げる姿や周囲の人々と紡がれる血の通った人間ドラマに胸を打たれ、今までのシリーズやロッキーという男の人生、我々観客たちが注いできた愛が重なっていく新たな傑作だ。

 

まず現役を引退してから何年も経った年老いたロッキーに第1作目を彷彿とさせる切なさと哀愁を感じずにはいられない。数々の激闘を制してきたロッキーが現役を引退してから長い年月が経った現在、ロッキーは地元フィラデルフィアで既に亡くなってしまった妻エイドリアンの名前を冠した小さなイタリアンレストランでお客さんに美味しい料理を振る舞いながら自分の試合での活躍や過去に築き上げた栄光を話して生活していた。これだけ聞くとかつてのように華やかな生活ではないが、そこそこに人生を謳歌しているようにも見える。

 

だが社会人になった息子のロバートはエイドリアンの命日に会いに来ないどころか普段から疎遠になってしまったし、自分と一緒に戦い続けた仲間はもうポーリーだけになってしまった。また亡くなってからしばらく時が過ぎているのにも関わらず、命日にはエイドリアンの面影を追いかけるように思い出の場所を巡ってエイドリアンとの思い出や自分の青春時代を振り返ってばかりで、ポーリーからはいい加減に前を向けと心配され、ポーリーも精肉工場をクビになり老いていき何もかも失ってしまうばかりの人生にやりきれない想いを抱える…二人はまた心の寂しさを深めて孤独になってしまい、過去の面影に憑りつかれてしまっていた。かつてのような栄光はもうないことは分かっていても、過去にしがみつかなければ生きていけない。だが過去のしがみつけばつくほどに孤独を深めていく。もはや思い出話を語って朽ち果てていくだけの人生に何も得るものはない…そんな無常観がロッキーとポーリーというキャラクターの長い人生を知っているだけになんとも切ない。

 

そんな孤独や寂しさが漂うロッキーの人生に新たな出会いと転機が訪れる。劇中でもよく訪れていたバーに久しぶりに訪れたロッキーが出会ったのは第1作目でロッキーが説教して家に帰らせた不良少女のマリーだった…彼女はこのバーの従業員だったのだ。思いがけない再会にロッキーとマリーは思い出話に花が咲き、マリーにも自分とよく似た心の寂しさを抱えていることに気付く。そしてロッキーはマリーと彼女の息子であるステップスと交流を深め、二人を自分の経営するイタリアンレストランの従業員にするのだった。そんな中、テレビで現役チャンピオンのメイソン・ディクソンとロッキーとのバーチャル試合が企画され、その試合でロッキーが勝利したことが話題となる。そのニュースを見ていたロッキーはかつての闘志や情熱の高鳴りを感じ、もう一度プロライセンスを取得してボクサーとして生きることを決意するのだった。

 

だがロッキーの挑戦は前途多難だ。まず第一の関門である体育協会はロッキーの年齢や今後の健康を理由にライセンス発行を許可しない。それでもロッキーは「夢を追いかける人を邪魔する権利はないはずだ!失うものが多い人生だからこそ俺からチャンスを奪わないでくれ!」と頼みこみでなんとかライセンスを発行される。そんな矢先に現チャンピオンであるメイソンの人気上昇のために彼とのエキシビジョンマッチを打診され、大きな舞台への緊張や自分の年齢やブランク、自分の闘志への不安に押しつぶされそうになる。またロバートも「そんな無茶なことはやめてくれ」といい、周囲の人々から「偉大なボクサーであるロッキーの息子」としか見てもらえず、誰も自分という人間を見てくれないことへの苦悩を打ち明ける。そんな不安を感じ取ったマリーは大きな挑戦に挑もうとするロッキーを励まし、ロッキーもまたロバートに人生の厳しさや自分を信じて苦境に立ち向かうことを説く。人生を生きることや困難な挑戦に挑むとき、人は自分が孤独に思えるかもしれない、だが何気ない友情やお互いに支え合って乗り越えていく…ロッキーが歩んできた人生を知っているからこそ彼の行動や一言に人生の重み感じる。

 

そうしてポーリー、マリー、ステップス、ロバート、かつてアポロのトレーナーを務め、ロッキー自身も世話になったデューク、心のどこかでロッキーを支え続けるエイドリアンと共にロッキーはもう何度目か分からない過酷なトレーニングに挑む。既にボクシングを引退してから長い年月が経過したロッキーの体は、同年代の男性と比較したら驚異的な体だが、現役チャンピオンでまだまだ血気盛んな若者であるディクソンの前には老いぼれの体も同然…それでもチャレンジするのだと1発1発のパンチのパワーを高めていく。そして迎えたディクソンとのエキシビジョンマッチ、現役チャンピオンであるディクソンの勝利に思われた試合は、ロッキーの粘りとディクソンの左拳骨折によってかつてないほどの乱戦を繰り広げる。最終ラウンドでロッキーはダウンするものの、ロバートに説いたことを思い出して再び立ち上がり、死闘の末に試合終了のゴングが鳴り響く。試合はディクソンの勝利となるものの二人はお互いに激闘を称え合い、ロッキーは観客たちの熱狂的なコールと鳴りやまない拍手を受けながら誇らしげに会場を後にする…第1作目のあの頃を思い出すではないか。試合が終わって数日後、過去に囚われることをやめてこれからの人生を生きていくことにしたロッキーは、亡きエイドリアンのお墓に赤いバラを置く。無常観に打ちひしがれていたロッキーはもういない、今を生きる誇らしい姿をエイドリアンに見せるのだった。

 

そしてシルヴェスター・スタローン自身の人生とロッキーの人生が重なるというメタ的な視点が第1作目以上に心を掴む。第1作目はロッキーのシンデレラストーリーが作品の大ヒットとこの映画によって一躍スターになったスタローン自身と重なったが、今作は老練になりながらもアクション映画にこだわり続けるスタローン自身と重なる。またロッキーのバーチャル試合に熱狂する批評家や観客、ロッキー・ステップでロッキーのポーズをまねる人々を映し出すエンドロールなどロッキーというキャラクターを愛してきた我々観客の視点も描かれるのもよい。フィクションと現実が繋がる瞬間によって人々の心にずっと残り続ける傑作となるのだ。

 

演出面でも我々の心をグッと掴んでくれる。2匹のカメや不良少女だったマリー、冒頭でロッキーと戦ったスパイダー・リコ、精肉工場、ペットショップなど第1作目連想させるかのようなモチーフが何度も登場して、懐かしさを感じさせると共に新たな原点回帰であることを宣言する。エイドリアンの面影やエイドリアンとの甘い日々を描く過去の名場面はファンならば思わずウルッときてしまうだろう。もちろん恒例のオープニングクレジットや、ロッキーのテーマにのせたトレーニングシーン、ロッキー・ステップで高らかに拳を上げるロッキーなどシリーズのお決まりも忘れてはいない。そしてクライマックスの試合シーンは本物の試合の生中継を見ているかのようなリアル感とライブ感を感じることができ、実際に殴り合って撮影したことで壮絶さに磨きがかかっている。ビル・コンティのスコアも老いや喪失に打ちひしがれたロッキー達を切なく包み込み、トレーニングや試合シーンでは最高に燃えるメインテーマを流してくれる。やはりビル・コンティのスコアがないとロッキーシリーズは締まらない。

 

役者陣の魅力もシリーズで1番と言いたくなるほど印象的だ。シルヴェスター・スタローンは60歳だというのにたくましい肉体と体技を見せつけると共に老いや寂しさを体現してくれる渋さを兼ね備えて我々にロッキーという男の生き様を見せつける。かつてのシリーズではただのコメディリリーフ扱いになってしまっていたポーリー役のバート・ヤングもどうしようもない無常観に振り回されてやさぐれている姿がなんとも切なくて忘れ難い。マリー役のジェラルディン・ヒューズはシリーズ中では亡くなってしまったエイドリアンを彷彿とさせるような素朴さを持ち、健気ながらもロッキー以上に心の強い女性を演じていたし、ディクソン役のアントニオ・ターバーのちょっとナメてる感はアポロにも通じる物が少しあるなと感じた。

 

第1作目を彷彿とさせる展開や人間ドラマを描きながら、老境に入ったロッキーだからこそ描ける人生を生きる意義を見せてくれる…新たな第1作目と呼ぶべき完璧な映画だ。またボクシングという生きがいを失ってしまったロッキーの新たなチャレンジや、息子との関係修復は「ロッキー5 最後のドラマ」で描こうとして失敗してしまった要素であり、ロッキーというキャラクターにけじめをつけることが出来なかったリベンジマッチを今作で果たしたとも言えるだろう。もうロッキーという男の人生が愛しくて仕方がない。