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~人権と平和を守り続けた普通の男と堅物スパイの不思議な関係~「ブリッジ・オブ・スパイ」ネタバレレビュー

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作品概要

アメリカとソ連が冷戦中であった1957年、FBIによって逮捕されたソ連人スパイの弁護と、自ら弁護したソ連人スパイとソ連軍に捕えられたアメリカ人スパイとの交換交渉に奔走したジェームズ・ドノヴァンの姿を描く伝記ドラマ。出演はトム・ハンクス、マーク・ライランス、エイミー・ライアンアラン・アルダ、オースティン・ストウェル、セバスチャン・コッホ、スコット・シェパード、ウィル・ロジャース、ミハイル・ゴアヴォイなど。監督は「シンドラーのリスト」のスティーヴン・スピルバーグ

 

 

点数:4.5点(5.0点満点、0.5刻み)

※ネタバレを含みますので読まれる方はご注意ください

 

 

2つの強国がお互いに憎み合う時代の中で常に人権を守り続けた普通の男と堅物で考えが読めない敵国スパイの関係に、人間らしさ、平和とはかくあるべしとと告げる一流スタッフの見事な手腕がとても印象的な映画だ。

 

今作はアメリカとソ連が静かに火花を散らし、秘密裏にスパイを送り込んで敵国の情報を入手しようと必死になっていた冷戦時代の話だ。当時のアメリカとソ連は核戦争という不吉なワードが現実味を帯びてくるほどに緊張が走り、政府や国民は敵国への憎みを増幅させていった。その憎しみは人権という当たり前の前提を大きく歪めていき、自国で捕えたスパイや敵国で捕まってしまった兵士に対して「殺してしまえ」とか「あんな奴見捨てればいい」と平気で断言してしまう風潮が高まっていた。そんな時代に人として人権を守り続けることの尊さをスティーヴン・スピルバーグは訴えかける。

 

物語はブルックリンのとある部屋から始まる。部屋自体はよくある普通の部屋だが、昼間だというのにどこか暗く冷たい空気がつきまとう。そんな暗がりの部屋で一人の男が自画像を描いていた。彼の名前はルドルフ・アベルと言い、絵を描くのが趣味のどこにでもいる老紳士である。そんな中、突然電話が鳴り響き彼は電話に出る。一言、二言頷くだけの質素な会話をした後に、アベルは公園に出かけベンチの裏にあったコインを拾ってくる。部屋に戻ってきたアベルは公園で拾ったコインを部屋にあった金属板で削り出す。そして二つに割れたコインの中から出てきたよく分からない暗号のような文字列が書かれた小さな紙片を取り出し、大きな拡大鏡でその文字列を読んでいた…アベルソ連のスパイだったのである。そしてFBIは入念な捜査と裏付けの末に、アベルをスパイ容疑で逮捕するのだった。

 

ルドルフ・アベル逮捕のニュースが伝えられると「ルドルフ・アベルに極刑を与えるべきだ」という意見が世論の大半を占めることとなった。だがすぐにアベルに罰が与えられる訳ではない。どんな人物であろうとも弁護士を付けて裁判を受ける権利があるためだ。そこで政府はアベルにきちんと国が雇った弁護士を付けて裁判を行い、倫理的にアメリカはソ連よりも優れていることをアピールするために弁護士を探すことになる。だが世間からの批判や自分のキャリアに傷がつくことを恐れて誰もやりたがらない。そこで白羽の矢が立てられたのが保険専門の案件を担当していたジェームズ・ドノヴァンだった。突然の依頼に困惑するドノヴァンだったが、この板挟みな依頼を引き受けることを決意するのだった。

 

だがアベルの弁護は予想以上に困難を極める。家族からは依頼を受けることを反対されるし、CIAはアベルを二重スパイに仕立て上げて情報を引き出そうとドノヴァンに圧力をかけてくる。アベルもスパイ罪には死刑しかなく、味方のソ連も自分の存在を否定することを知っているためか諦めムードが漂う。そしてドノヴァンの顔が報道されてしまい、周囲から白い目で見られた挙句、自宅で発砲事件が起こってしまう。幸い死者は出なかったものの、ドノヴァンは自分が大きなものと立ち向かわなければならないことを思い知らされる。それでもドノヴァンはアベルと面会を重ね、CIAや世間の目に屈することなく、時には判事に直談判してまでアベルの弁護に全力を注ぐ。そんなドノヴァンと触れ合うことでアベルもまた彼を信頼していく。二人の間には依頼者と弁護人という関係を超えた奇妙な友情が芽生え始めていた。そして自身の得意分野である生命保険関係の訴訟を生かして、アベルを「アメリカのスパイがソ連に捕まったときにスパイ同士を交換するときの保険」として生かすことを提案し、死刑から懲役刑にまで減刑させることに成功する。それでもドノヴァンはアベルを救うために更なる減刑を求めて上告する覚悟を見せる。

 

だが時を同じくしてドノヴァンの提案が現実のものとなっていた。極秘任務でソ連上空の偵察任務を遂行していたU-2偵察機が、ソ連軍の戦闘機に撃墜されてしまい、パイロットのフランシス・ゲーリー・パワーズがスパイ罪として有罪判決を受けてしまう。だが世間は「ソ連に捕まったのは自己責任だ、むしろ死ねばよかったのに」とパワーズを非難し、アメリカやCIAもスパイの存在を認めてしまうことに繋がってしまうために表立ってパワーズを救うことが出来ない。そこであくまで民間人としてドノヴァンがアベルとパワーズの人質交換交渉を行うことになる。しかしこの交換交渉は更にややこしくなっていく。同時期に西ベルリンで留学中だったアメリカ人学生フレデリック・プライヤーが、東ベルリンに住む彼女を避難させようとしてスパイ容疑で東ベルリンに逮捕されてしまう。よってドノヴァンは1人のスパイで2人のスパイを交換するという人数の釣り合わない人質交換に挑むことになる。しかもパワーズはソ連、プライヤーは東ベルリンと別々の政府に逮捕されているため、2つの政府との交渉を同時に行わなければならないのである。CIAからはパワーズとアベルの交換交渉に集中しろと命令されるが、ドノヴァンはパワーズとプライヤーの二人を救出することに固執し続ける。そしてドノヴァンはアメリカとソ連の縮図が凝縮したベルリンでの交換交渉に挑む。

 

ドノヴァンが降り立った東ベルリンは緊迫した状況が続いていた。西ベルリンを断絶するベルリンの壁がたった1日で築き上げられ、壁を越えようとする者は容赦なく殺されるという恐ろしい光景が繰り広げられる。そこでドノヴァンはCIAから錆びれた宿屋を用意され、移動中に言葉の通じないチンピラに上着を奪われるなど終始不安に包まれる。そんな中でも交換交渉に奔走するのだが、やはり人数の釣り合わない人質交換交渉は双方の思惑が絡み合う。ソ連側はアメリカと同じく表立ってスパイ交換はできないため、偽のアベルの家族を仕立てて表面上民間での交渉であるように計らう。だがアメリカがすでにアベルの持っている情報をアメリカ側が入手したのではないのかという疑念を捨てることができず、パワーズから情報を引き出してからではないと交換に応じない素振りを見せる。一方、東ベルリン側はアメリカが東ベルリンを正式な政府として認めない限りプライヤーの交換はないとドノヴァンに脅しをかける。そして交渉は平行線のまま刻一刻と期限は迫り、もうダメかもしれないという状況になった時にドノヴァンはある賭けに出る。ソ連側にはアベルが一国の兵士としてスパイとしてきちんと自国の情報を守り続けていたことをきちんと伝え、東ベルリン側にはプライヤーの解放がなければアベルの尋問が開始され、大本であるソ連から非難されるぞと逆に脅しをかけることでスパイ交換を成立させる。そして東ベルリンと西ベルリンを繋ぐグリーニッケ橋にてアベルとパワーズの交換、別場所でプライヤーの返還が行われた。プライヤーの引き渡しに少々時間がかかり、交換がなくなりかけそうになるものの無事にスパイの交換を成功させる。最後にアベルは自分を救ってくれたドノヴァンを「不屈の男」と評し、彼にドノヴァンの自画像をプレゼントしてソ連へと帰って行った。そしてドノヴァンもまた家族のもとへと帰って行くのだった。

 

ドノヴァンが成し遂げた功績からは我々が忘れてしまいそうになることを思い出させてくれる。今作を通じて彼がやってきたことは「弱き者を助け、手を取り合う」ということだ。ドノヴァンは弁護士として法律と個人の人権を尊重していったが、その根底には弱き人々を助けたいという気持ち、差別や排斥のない平和な世界への想いがあったのだのだと思う。もちろん口で言うのは簡単だし、誰だって平和な世界を望んでいるとは思うが、どうしても人はそれを忘れて国やイデオロギーのもとに戦いを始めてしまい、憎しみや排斥という名の大きな壁を作ってしまう。そしてその壁によって自由を失い、苦しめられるのは弱き人々だ。そんな壁ばかりの世界でも弱き者の立場に立って人々を繋ぐ橋渡しを行うことに尽力したドノヴァンはまさに正義の人であると思うし、アベルとドノヴァンの奇妙な関係性は壁のある世界でもお互いに手を取り合った尊い関係だと思う。しかも彼は我々と同じように家族を愛し、仕事に勤しむ普通の人なのだ。だからこそ彼のような行いを一人一人が目指していき、壁のない世界を作っていくという普遍的なメッセージが染みるのだと思う。特にドノヴァンがCIAの脅しに対して「全てに平等であるアメリカの憲法こそが我々をアメリカ人たらしめているのだ」と言う場面やアベルの裁判で弁護をする場面、グリーニッケ橋で佇む彼の姿はやはり忘れられない。誰もがドノヴァンのようになれるはずだというスピルバーグの祈りが込められていると感じた。

 

そんな普遍的な平和の物語が一流のスタッフの手によって映画というマジックがかけられる。まずコーエン兄弟による脚本は洗練されていて、時折顔を出すユーモアがよいアクセントとなっている。アベルというキャラクターの特徴を表す「それは役に立つのか?」というセリフが後にドノヴァンとの奇妙な関係を象徴し、保険専門の弁護士だったドノヴァンの考え方を象徴する「ひとつ、ひとつ」というセリフは後のスパイ交換交渉での伏線として生かされるなど、セリフ選びや使い方までとてもスマートだ。またアベルの家族として用意されたであろう偽の家族の過剰ぶりや全然役に立たないくせに自らは国の代表として威張り倒してかっこつけているだけの存在として描かれるCIAに振り回されるドノヴァンの不遇っぷりなど硬派に見えて実は意外とコミカルな場面もあって全く飽きさせない。次にスティーヴン・スピルバーグとずっとタッグを組んでいるヤヌス・カミンスキーの陰影の濃い冷たい画作りもかっちりとハマっていてうっとりする。冒頭の昼間なのに暗いアベルの部屋や、雨降る中何者かにつけられるドノヴァン、アメリカとソ連が向かい合う雪の積もったグリーニッケ橋での描写などどれも美しく印象に残る。

 

トーマス・ニューマンのスコアも冷たくスリリングで美しい。スパイ映画らしいスリリングなスコアは静かながらも何かが迫ってくる切迫感を感じさせ、スピルバーグらしい雄大で美しいメロディも聞かせてくれる。いつもタッグを組んでいるジョン・ウィリアムズとは違う情緒的な快感を排してあるのが今回吉と出ているのだと思う。そして何よりスティーヴン・スピルバーグの演出が素晴らしい。アベルの静かで坦々とした日常やアメリカとソ連の裁判の様子の対比、異国への恐怖を表現するためにカットされた英語以外の言語字幕、地味だけどとてもスリリングなグリーニッケ橋でのスパイ交換や無駄のない会話シーン、東ベルリンで壁を超えようとした民が殺される場面を目撃したドノヴァンの表情とアメリカで子供達が壁を越えてはしゃぐ様子を見たドノヴァンの表情で物語の主題を雄弁に語るなどなど…まさに映画的に語るとは何かをきちん理解しているベテランだからこその手腕がふんだんに発揮されている。彼なら当たり前のことかもしれないが「さすがスピルバーグだ」と言わざるを得ない。

 

もちろん役者陣の魅力も見逃せない。ジェームズ・ドノヴァンを演じるトム・ハンクスは物腰の柔らかさからくる意志の強さがとてもかっこよく、彼がいるだけで映画がすごく引き締まる。彼に普通の人だけどすごい人物をやらせたらピカイチだ。そしてそんなトム・ハンクスを喰ってしまうほどに印象的なのがアベル役のマーク・ライランスだ。無表情で何を考えているのか分からないが、その佇まいからはスパイとしての威厳やもの悲しさ、ドノヴァンへの信頼が感じられる…観客に想像させる幅を持たせた巧みな演技で、アカデミー助演男優賞ノミネートも納得だ。他にもエイミー・ライアンアラン・アルダセバスチャン・コッホなど名優たちがいい塩梅で物語を印象的に彩っていく。

 

弁護士として弱き者の人権と平等を全力で支えた一人の男の功績から、壁という断絶を無くして手と手を取り合って平和を作りあげることの意義深さを問いかける今作はまさしくスピルバーグの映画であると同時に、今だからこそ見るべき映画だと思う。月並みな言葉だがとても上質な映画だ。