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~どこまでも恋は飛躍し、世界はそこにあり続ける~「天気の子」ネタバレレビュー

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作品概要 

東京に家出してきた少年と祈るだけでどんな天気も晴れにしてしまう不思議な能力を持った少女の恋がやがて世界を揺るがす事態へと発展していく様を描くアニメーション映画。声の出演は醍醐虎汰朗、森七菜、小栗旬、本田翼、吉柳咲良、平泉成梶裕貴倍賞千恵子など。監督は「君の名は。」の新海誠

 

点数:5.0点(5.0点満点、0.5刻み)

※ネタバレを含みますので読まれる方はご注意ください

 

 

なんという作品を新海誠は作り上げてしまったのだろうか。世界から飛び出していく少年少女たちの恋を全面的な肯定で祝福し、希望の見えない閉塞感漂う世界とそこに生きる人々には温かい眼差しを向ける。その狂気じみた純粋さと優しい世界の捉え方に尊い感情が溢れ出して止まらなかった。

 

まず言っておくと僕は「秒速5センチメートル」でこれでもかと涙を搾り取られて以来、新海誠の大ファンである。やるせない感情や儚くもすれ違ってしまう想いが独特なモノローグによって語られ、これでもかと美しく描写される日常風景が切なさを際立たせると同時に背中を後押しする。その繊細さや純粋さ、優しさがたまらなく大好きなのである。そしてこれまでの作家性に圧倒的なエンターテイメント性と時代性を取り込んだ「君の名は。」によって新海誠は誰もが知る作家となった。だからこそ「君の名は。」の次に放つ作品には大きなプレッシャーがかかるし、ファンとしてもあそこまでの大傑作を作り上げた彼が次にどんな作品を作るのか楽しみであり不安でもあった。そして遂に公開された「天気の子」はこれまでの作品とは何かが違っていた。しかしかつてない程に彼の作家性が爆発していたのだった。

 

やはり驚いたのは新宿を中心とした東京の描き方だ。東京の風景は新海誠作品における第2の主人公としてこれまでに何度も印象的で美しい景色を見せてくれたが、今作で描かれる東京の風景は曇天に包まれてどこか冷たく、汚くて乱雑としている。例えば主人公の帆高が都会の洗礼を浴びることになるギラついた歌舞伎町周辺や帆高と陽菜が警察から逃げるためさまよう池袋のラブホ街の風景だ。そしてそこには数多くのプロダクトプレイスメントが存在し、閉塞感や庶民感が増していく。それは個人的に東京に感じていた「なんでも揃っているけど乱雑でゆとりがない」感覚であり、息苦しくて先行きが不安定な未来しか想像出来ない世界とリンクする。これだけで今作はこれまでと何かが違うと思わせる。そして東京で暮らす人々の息遣いもまたこれまで以上に感じる。特に物語に絡む事ないような人々にまで台詞が用意され、様々な人々の生活の様子や背景を連想させる。また「君の名は。」に登場したキャラクターがカメオ出演しているのも観客へのサービスであると同時に、東京で暮らす人々の息遣いを表現する上で大切な役割を担っていると思う。

 

そんな東京で繰り広げられる家出少年の帆高と100%の晴れ女の異名を持つ少女の陽菜の恋や思春期特有の衝動的な振る舞いは明確に世界や社会と敵対する事になっていく。帆高はここではないどこかへの憧れや焦燥感の赴くままに閉塞感漂う地元から家出して憧れの東京にやってくるが、東京もまた閉塞感漂う綺麗事ではない世界として彼に立ち塞がる。それでも帆高は須賀圭介や須賀夏美との出会いを通じて自分の居場所や陽菜との絆を見つけるが、社会の大人たちは当然許してくれない。一方で母を亡くした陽菜もまた社会の大人たちによって弟の凪と引き離されてしまいそうになるし、巫女や祈祷師のように天気を操る能力の代償として生け贄となる運命が待ち構えていた。そうして2人は日に日に気象が不安定になっていく東京をさまよい、アンダーグラウンドな世界(新海誠作品にヤクザ関係の人々や拳銃が登場する衝撃!)に足を踏み入れるしかなくなっていく。そして遂に陽菜は空に囚われてしまい天気は晴れになる。少年少女達にとって世界や社会はとてつもなく大きいのだ。

 

それでも帆高と陽菜は世界や社会に抵抗し続けることをやめない。「ただ陽菜と一緒にいたい」という純粋な想いを胸に抱いて帆高は人と人、場所と場所を繋ぐ線路を走る。帆高の想いは大人から見たら確かに幼稚で浅はかなのかもしれないし、2人の恋が成就してしまえば世界はまた雨に包まれるかもしれない。それでも帆高は「ほっといてくれ!天気が狂っていてもいい!」と叫ぶ。そして帆高と陽菜は空の上で再会し、手を固く握りしめて地上へ戻る。それはまるで空から産み落とされた赤子のようにも見える。その後世界は再び雨に包まれ、3年経っても止む事はなかった。それでも帆高は「大丈夫」と言う。確かにあの時の強い想いは世界を変えてしまった。しかし世界は絶えず変容し続けていくものである。その「大丈夫」の一言にたとえ世界の形が変わってしまっても僕達はそこで生きて行くという強い決心が滲み出るのだ。

 

新海誠は「世界そのものや世界の危機」と「君と僕の恋」が結びつく物語を何度も語り続けてきた作家だが「天気の子」はこれまでの物語とは何かが違う。「ほしのこえ」や「雲のむこう、約束の場所」では大きな世界を前にして2人の想いはほろ苦い結末に向かい、「君の名は。」では愛する人への想いと世界の危機のベクトルが同じ向きを向いて一直線に成就していく。しかし「天気の子」では世界の危機と2人の想いが真っ向からぶつかり合い、その2つを天秤にかけたときに迷う事なく愛する人への想いを選択する。新海誠はここにきて世界や現実に対して暴力的なまでに純粋な想いに殉じてみせるのだ。それは今という不安定な世界に生きる若人達への願いや希望、世界を構成する大人達に対する叱咤激励のように感じた。たとえその選択が狂気の選択であろうとも、世界の形を変えてしまう事になろうとも少年少女達の想いが世界を突き抜けていく。その無垢過ぎる想いに涙が止まらなかったし、全力で彼らを応援したいと思ったのだ。確かに未来が暗いかもしれないし、世界には明快な答えや正義が用意されているわけではない。そんな世界に生まれて前を向いて生きていくことを力強く宣言した2人の若者を大人になった僕達が止めていい理由なんてない。時代が移り変わろうともそこで強く生きる人々がいることで世界は形成されるのだ。2人の純粋な想いと世界の否定と肯定を見事に描いていると思った。

 

また帆高や陽菜を取り巻く大人達の視線も血の通った世界を描く上でとても重要な部分だ。かつては帆高と同じように家出してきたが、今は物事の最大公約数を重視し、優先順位を入れ替えられない大人になった須賀圭介の佇まいや気持ちの揺れ動きは今作の深みに大きく寄与している。圭介の気さくだけどどこか胡散臭くて頼りない佇まいはなんともリアルで親しみが湧くし、帆高の無垢で衝動的な気持ちを理解しつつも大人として帆高の暴走を止めざるを得ない立場になるジレンマはすごくよく分かる。そんな彼が最終的に帆高を助け、気だるそうに優しく諭すというのが決してヒーローのように頼もしくないけど、若者の無茶ぐらい受け止められるぐらいの器の大きさがある理想的な大人像としてすごく好きで、自分もこうありたいなと思った。また子供と大人の中間に位置する夏美の視線は帆高の衝動も圭介のやるせなさも理解してやれる絶妙な立ち位置として機能しているし、刑事コンビの社会の一員としての大人の視点もまた帆高の危なっかしい衝動を冷静に捉えている。こうした外からの視線が帆高達と世界の関わりを密接なものにするのだ。

 

そして今作の世界の捉え方にも深く共感するものがあった。見慣れた情景も時代が移り変わればいつかなくなってしまうかもしれないからこそ、今ある情景はかけがえのないものと捉えていつくしむように美麗に切り取るというのが新海誠の持ち味だと思う。しかし今作ではその風景を盛大にぶっ壊し、世界が変容する様を切り取ってみせる。時代が移ろい変わり、世界が変容していく様を見て大人達は「あの頃はよかった」なんてノスタルジーに浸る。しかしそんな変容した世界で生きる子供達はきちんと生きがいを見つけて生活している。今の世界はよくなったのか悪くなったのかの線引きはあくまで小さな物差しで計った価値観でしかなく、世界は元々狂っていてそれでも力強く生活する人々が手を取り合って世界を築き上げてきたと捉えるのだ。この達観した視点はとても的を射ていると思ったし、見慣れた情景に対するかけがえのなさもより一層感じる。そうした世界の変容は少し壮大なもののように感じられるかもしれないが、誰もが日々気にせずにはいられない天気というモチーフによって身近なものとして実感できる。天気の移り変わりに日々の気分が左右される事もあるし、異常気象のニュースを見るたびに世界は変容しているのではと思ってしまう。この天気というモチーフを選んだことが今作の成功の鍵だと思った。

 

そんな今作は「君の名は。」の二番煎じになるような演出は避けつつ、「君の名は。」のような多くの心を掴むエンターテイメント作品として更に成熟した作品になっている。「君の名は。」で使われていたオープニングクレジットやタイムラプス演出はなくなり、あえて少しぶつ切り気味に展開を駆け足に見せていく演出を多用し、役者陣の好演とイキイキとしたキャラクターの表情が絶妙にマッチした掛け合いはとても心地よい自然な流れが意識されている。そして素晴らしいのは天気の描写だ。とてつもなく澄みきった青空と巨大な入道雲の上にある空の牢獄や雨の龍が住まう灰色の空、「言の葉の庭」から更なる進化を遂げた雨など天気や空の描写の美しさや躍動感が本当に素晴らしく、見慣れた東京の街と溶け合って更にその魅力が高まっていく。また昨今のエンターテイメントのトレンドであるシェアード・ユニバースを取り入れて「君の名は。」と同一世界の出来事として描くのには驚かされた。まさか新海誠MCUマーベル・シネマティック・ユニバース)ならぬMCU(マコト・シネマティック・ユニバース)を作り上げるとは思いもよらなかった。「君の名は。」ではありとあらゆるエンターテイメント要素を足し算していく印象だったが、今作では逆に引き算していった上で的確な演出を足し算するような印象を受けた。

 

それから忘れてはいけないのが「君の名は。」に引き続きタッグを組んだRADWIMPSの音楽だ。前作でも彼らの音楽は重要な要素であったが、気恥ずかしさすら感じてしまうほどに感情を爆発させた歌詞や新たに加わった三浦透子の美しい歌声が映画を更に盛り上げる。帆高が東京で圭介達との生活をスタートさせるときに流れる「風たちの声」は帆高の有り余る若さの衝動や希望に満ち溢れた新生活を彩り、陽菜と共に晴れ女稼業に勤しむときに流れる「祝祭」はかけがえのない存在と出会えた奇跡や喜びを恥ずかしげもなくストレートにぶつける。そしてクライマックスにかけて流れる3曲で感情の爆発が最高潮を迎える。帆高と陽菜が空の牢獄から逃げるときに流れる「グランドエスケープ」はこの世のありとあらゆる不可能からどこまでも飛び出していく衝動と不安が込められ、世界が一変した3年の時を経て帆高と陽菜が再会するときに流れる「大丈夫」はたとえ世界がおかしくなってしまっても2人で乗り越えていこうという強い想いが込められる。そしてこの映画の全てを意味するかのように流れる「愛にできることはまだあるかい」では2人が信じた純粋な想いの尊さを讃える。もうクライマックスの3曲が流れるたびに鳥肌が立ちっぱなしだったし、否定からの肯定という流れが歌詞にもしっかり組み込まれていて素晴らしいと思った。また劇伴に関しても違和感を抱かせるノイジーサウンドの取り入れ方やコミカルな場面での陽気なメロディなど前作よりも上手くなっているように感じた。

 

ただここで1つだけ不満点を挙げておく。それは前作と比べると編集や話運びのテンポが鈍重に見える点だ。今作に限ったことではないが、子供達が当てもなく逃避行をする物語は話の着地点が見えにくいためどうしても間延びして見えることが多い。最近の作品なら「ウィーアーリトルゾンビーズ」や「荒野にて」などがそうだ。だからこそ目的をはっきりさせる話運びやスムーズな編集は大事になってくる。しかし今作の場合、途中から物語の行く末を見失いそうになっているように感じたし、ぶつ切りのように暗転する演出が多いのも拙いなと感じた。ただ2回目に見たときは着地点が分かっているため、鈍重な印象はなくなったことも付け加えておく。

 

最後に役者陣の演技についても触れておきたい。まず主人公の帆高と陽菜を演じた醍醐虎汰朗と森七菜の等身大でエネルギッシュな演技はまさに帆高と陽菜そのもので素晴らしかった。そして圭介役の小栗旬の気だるそうだけど優しい包容力のある演技や夏美役の本田翼のイマドキの若者感を的確に捉えた演技もびっくりするほどハマっていて驚いた。他にも吉柳咲良の大人びたイケメン演技や平泉成による平泉成演技、いつもより低めのトーンですごむ梶裕貴、声だけでものすごい説得力を持たせる倍賞千恵子など素晴らしい役者陣の演技が堪能できた。

 

未来の行く末が見えにくくなり、何を信じていいのか分からないこの不安定な世界において新海誠はただひたすらに純粋な想いを信じてみたいと思わせる力強い傑作を作り上げた。たとえ観客を盛大に怒らせたとしても、その尊い想いをぶつけていくという彼の強い意志に僕は一生付いていこうと思ったし、その先にある突き抜けた景色をまた見てみたいと思った。次はどんな作品を作り上げるのか今から楽しみである。