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~見つめ合う2人が、自分を解き放つ~「キャロル」ネタバレレビュー

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作品概要

1952年のニューヨーク、望まぬ夫との結婚に縛られる美しき女性キャロルとそんな彼女の気品溢れる独特な雰囲気に惹かれる若きデパート販売員テレーズの出会いと恋愛模様を描くパトリシア・ハイスミスの原作小説を映画化。出演はケイト・ブランシェットルーニー・マーラカイル・チャンドラー、サラ・ポールソン、ジェイク・レイシーなど。監督は「エデンより彼方に」のトッド・ヘインズ。

 

 

点数:4.0点(5.0点満点、0.5刻み)

※ネタバレを含みますので読まれる方はご注意ください

 

 

50年代アメリカの空気感に包まれて描かれる2人の女性の燃え上がるような恋愛模様を通じて、誰もが感じるときめきと切なさや大きな時代と社会から解放されて自分らしさを貫くことの尊さを実感させてくれる。当時では決して描くことが出来なかった生き方を見事に蘇らせた恋愛映画だ。

 

50年代アメリカは今よりも保守的で多様性を認めない時代だった。男尊女卑という考え方が当然のようにあり、妻は夫の所有物のような扱いを受けることもあった。またLGBTという考え方も当然のように否定され、精神病として治療を強制させられていた。ハリウッド映画においても不道徳な描写や表現を規制するヘイズ・コードと呼ばれる検閲があったほどだ。今作はそんな時代の中で繰り広げられる女性同士の恋愛模様が描かれる。女性同士の恋愛を描く映画だと聞くとなんだかセンセーショナルな描写ばかりで、妙に説教臭い映画なのではないかと思う人もいるかもしれない。しかし今作はそんな大仰なことはしない。あくまで主人公2人の関係性の変化や感情、誰もが普遍的に経験するときめきや切なさを丁寧に描かれ、二人の決断を静かに噛みしめることで今作の面白さが広がっていく。

 

物語はとあるレストランを訪れた男が知り合いの女に声をかけるところから始まる。彼女の名前はテレーズといい、彼女はキャロルという名の気品に溢れた大人の女性と仲睦まじく食事をしていたようである。そんな中、男はテレーズをパーティに誘い出し、テレーズはキャロルと別れて彼と一緒に車に乗り込む。その道中にテレーズは、かつての自分のことやキャロルのこと思い出していく…。

 

テレーズは高級デパートのおもちゃ売り場で働きながら、写真家を目指している若き女性だ。一方で恋人のリチャードからは結婚して一緒にフランスて暮らさないかと言い寄られていながらも答えを保留にしたまま、流されるまま日々を過ごしていた。彼女は他人と深く交わることへの不安感を抱いており、それ故に自分で何か物事を決めることに苦手意識を持っていたのだ。人の写った写真を撮ることができないというエピソードやおもちゃ売り場の列車セットを見つめる姿はそんな彼女のナイーブな一面を端的に表しているだろう。

 

そんなある日、テレーズはクリスマス商戦で賑わっているおもちゃ売り場やってきた一人の女性に目を奪われる。テレーズと同じようにおもちゃ売り場の列車セットを見つめる女性は触り心地のよさそうな毛皮のコートを身にまとい、吸い込まれそうな赤い唇が一際目を引く気品のある女性だった。そんなテレーズの視線を感じたのか、気品のある女性はテレーズを見つめ返し、テレーズのもとにやってくる。見つめ返されるどころかまさか自分のもとにやってくるとは思ってもみなかったテレーズは少し緊張しながら気品のある女性への接客を行う。娘のためにクリスマスプレゼントを買いに来たという気品のある女性はキャロルと言い、テレーズはその気品や何も縛られることのない自由さから目が離せなくなる。そしてキャロルはおもちゃ売り場で見つめていた列車セットを買い、去り際にテレーズが被っていたいたサンタ帽子を「その帽子、似合っているわよ」と言いながら帰っていく。あっという間の出来事にあっけに取られるテレーズだったが、カウンターにキャロルの手袋が残されているのを見つけ、受付に書かれていたキャロルの住所に送ってあげるのだった。この出会いの場面は文章では伝えられないほどに一目惚れの瞬間を描き出した素晴らしい場面だ。

 

そんなデパートでの出来事がきっかけでキャロルとテレーズは出会いを重ね、どんどん惹かれあっていく。キャロルは手袋を送り届けてくれたお礼にテレーズをランチに誘い、テレーズを「天から落ちてきたかのような人」 と褒め称える。またキャロルの家に招待された際に、テレーズは初めてキャロルの写真を撮り、キャロルに心を開いていく。

 

しかしキャロルはその気品さと自由さの裏に秘密を隠していた。かつてのキャロルは親友であるアビーとの間に親密な関係を築き上げていたものの、古い考え方に縛られた男ハージと望まぬ結婚をすることとなる。キャロルはハージとの間に一人娘を授かったものの、「ハージのお飾りの妻」として本当の自分を抑圧しなければならない生活に嫌気が差し、彼と離婚調停をしている最中だった。だがテレーズとの関係を目撃したハージはキャロルに対して離婚を取り消さなければ、娘の親権を奪うと脅しをかける。そんなキャロルの秘密を垣間見てしまったテレーズは誰よりも悲しみ、リチャードの猛反対も押し切ってキャロルの「一緒に旅に出よう」という誘いを受ける。そしてキャロルがプレゼントしてくれたカメラを携えて2人だけの逃避行が始まる。この逃避行を通じて、2人は更に親密な関係を築き上げ、遂に身体的な繋がりも深める。テレーズの幼気な表情と小ぶりな乳房、キャロルの美しい背中がまた美しい。

 

だが2人の時間は呆気なく終わりを迎える。ハージに雇われた探偵によって2人の情事が録音されてしまったのだ。キャロルは隠し持っていた拳銃を探偵に向けるも脅しは効かず、テレーズは自分の責任だと落ち込んでしまう。キャロルからは「あなたのせいじゃない」と慰められるものの2人は失意のままホテルへ戻る。そしてテレーズが目覚めた頃にはキャロルの姿はなく、親友のために迎えにきたアビーから渡された手紙によってテレーズへの深い愛と離婚と親権のためにしばらく距離を置かなければならないことを告げられる。帰宅後、テレーズはどうしてもキャロルのことが心配で電話をかける。しかし無言電話のままで通話は終了してしまう。近くで励ましてあげたい、愛を伝えたいのにできない状況にテレーズは思わず「会いたい」とつぶやき、そんな彼女の気持ちが手に取るように分かるキャロルは悲しい表情を浮かべる。2人はこんなにも愛し合っているのに、距離を置かなければならないというもどかしさは誰でも切なさを感じるはずだ。

 

そんなもどかしい電話以降、キャロルはお飾りの妻としての生活に戻り、テレーズは新聞社でアシスタントとして働き始める。だがお互いに埋められない何かを引きずったままだった。そんな中、キャロルはある決断を下す。調停会議の際に、キャロルが娘の親権を放棄する代わりにハージはキャロルとの離婚を受け入れてほしいと条件を突きつけたのだ。娘の親権を失うという大きすぎる犠牲の裏には、自分と同じように自由に縛れているハージと娘の幸せを願い、自分の本当の姿に正直になりたいというキャロルの想いが強く滲んでいる。辛い犠牲であることを承知でハージに条件を伝えるキャロルの表情に思わず涙が流れる。

 

そして物語は冒頭へ戻る。キャロルはもう来ないであろうという覚悟でテレーズにディナーを誘う。テレーズはその誘いを受けてキャロルのもとを訪れる。そこでキャロルは大きな決断によって自由になった自分のこととテレーズと暮らしたいと告げる。しかし大きな決断をして新たな幸せを得たキャロルを見ても、テレーズはまだ自分の本心が分からない。結論を出せぬまま、テレーズは知り合いの男に誘われパーティに向かう。そこにはテレーズと別れて、別の女性と親密そうなリチャードの姿もあった。リチャードを含めたパーティの面々と他愛の話をしている内にテレーズは自分の本心に気付き始める。そんな高鳴りを感じたテレーズはキャロルの元へ向かう。そしてキャロルとテレーズはかつてのように見つめ合うのだった。

 

…振り返ってみるとキャロルとテレーズの恋模様は自分にはないような何かを求め、自分らしく生きる決断をすることだったと思う。テレーズはキャロルの周囲の人々とは違う確固たる意志や強さに惹かれ、キャロルもまたテレーズの純真無垢で何者からも縛られない自由さに惹かれていく。一方で50年代アメリカという古い時代の中で社会や考え方に縛られずに自分らしく生きることは並大抵のことではない。それはキャロルとテレーズだけでなく男性らしく振舞うハージもリチャードもまた時代や社会に縛られた人間だと言える。そして時代や社会の流れによって引き裂かれそうになる切ない時期を経て、キャロルとテレーズは2人で自分らしく生きることを選ぶ。この先、彼女達は自分らしく幸せに暮らしたのか、偏見に満ちた世界で困難な暮らしを強いられたのかは分からない。だが自分らしさを貫くことを選択した彼女達は誰よりも凛と輝いて見える。それは当時では決して描けない現代ならではの映画であり、現代的な内容を持った映画なのだ。

 

そんな現代的な内容を持つ今作をトッド・ヘインズは50年代の雰囲気を完全再現した画作りと小説の行間を読むかのような描写の積み重ねで描き出す。例えば美術やキャロル達の衣装は当時のものが完全に再現され、その1つ1つのこだわりや美しさだけでも見ていて飽きない。またニューヨークの冷たいながらもどこか淡い温かさが滲み出るような画作りは絵画を見ているかのような綺麗さがある。しかも色使いも徹底的に作りこまれており、キャラクターの存在感や心理描写などを描き出すのだ。美しさにおいてセンスの良さだけではない手腕が発揮されていると言っていいだろう。小説の行間を読むかのような描写の積み重ねでは、前述した色使いだけでなく、煙草や列車セットなどの小道具によって2人のキャラクターの内面が吐露されていく。そして心の見つめあいを示すかのようにカメラや鏡の使ってキャロルとテレーズの出会いや親密さを描き出す。ナレーションなどもなく、ここまで2人の関係性を描き出すのは見事としか言えない。1つ1つのセリフや振舞いに託された内面を読み解く演出はまさに映画的だ。あとカーター・バーウェルのスコアの美しさも忘れてはいけない。オープニングを彩るメインテーマに彼女達の濃密な愛と困難さが感じられる情的なメロディを聞かせるオーソドックスなスコアは何度も聞き返してしまうほどだ。

 

そして作品の魅力を格段に上げているのは役者陣の演技合戦だ。気品に溢れ、誰もが虜になってしまうような魅力を持ったキャロルを演じたケイト・ブランシェットはこれ以上ないハマりぶりを見せると共に、その裏に隠された空洞や迷いを滲ませる。光と闇の部分が混在した難役を、彼女以外では考えられないほどのキャラクターに仕立て上げてしまうのはさすがとしか言えない。冷たいイメージがあるテレーズ役のルーニー・マーラもとても温度感のある色気を醸し出し、幼い少女から大人の女性へと変化していく過程を見事に表現する。個人的に「ドラゴン・タトゥーの女」のリスベットに並ぶかわいらしさだと思った。他にも恋人や友人を超越した立ち位置で2人を支えるキャロルの親友であるアビー役のサラ・ポールソンの達観した魅力や、男らしく振舞いながらキャロルを縛るハージ役のカイル・チャンドラーの人間味溢れる演技も素晴らしかった。

 

忘れられないような見つめ合いから始まったキャロルとテレーズの恋にときめきと切なさを感じ、彼女達の選択に自分らしく生きることの尊さを大きく実感する…今に生きる女性に関わらず、自分らしい生き方に真摯に向き合った現代に通じる映画だ。実はトッド・ヘインズの作品は初めて見たのだが、巧みな演出とこだわりに充実した映画体験をすることができたと思う。